5月23日から25日に喜界島へ行った様子を数回に分けて連載します。
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途中で他の話題が入る(かも?)しれませんので、記事には”202005喜界”のタグを付けておきます。
GoogleMapのマイマップには行った場所をマッピングしてます。
午後のスタート、希望を聞かれたので、まずは百之台へとお話したのですが、地図をよく見ると七島鼻(ポイント211)というのが気になり、お聞きすると、百之台より七島鼻が一番高くて標高211m。一番高いので奄美大島から7つの島を見渡せる場所、ということなので、行き先変更です。
島の東側を見下ろす高台からは、太平洋側から隆起して出来た断崖がよくわかります。
蒲生の夫婦ガジュマルと阿伝の石垣を希望し、百之台は公園でわかりやすいよということなので、翌日、自分で行くことに。
島の東側を降りていくと道沿いに突然、大きなガジュマル。てっきり集落内と思っていたのですが山の中腹。しかも道を挟んであった夫婦ガジュマルの片割れは台風で倒れたとのことですし、夫婦ガジュマルを案内する看板はありません。自分で来たら見落とすところでした。
阿伝へ行く手前で、夫婦ガジュマルのあたりから花良治集落へ流れる水を利用して田芋(水田で育てる里芋)の棚田へと立ち寄りました。
きれいな水が流れる斜面に小さな棚田がズラッと並んでいて、田芋が育てられていました。喜界では田芋は方言でウム、これは奄美大島の南部と同じです。大島北部では里芋はマンですのでターマン。田芋の茎はフワリー、喜界でも大島でも野菜として食べますが、面白いことに大島南部ではムジで、北部でクヮリと、喜界に似ています。
この田芋の棚田では不思議なことに、すごい数のモンシロチョウが群れていました。
阿伝集落はサンゴの石垣で、ちゃんと案内板が設置されてモデルコースも書かれていたので、Tさんは知り合いに挨拶に行っている間に、のんびり歩いて散策。
喜界島のサンゴの石垣は自然のサンゴの石をそのまま積んでいる場合が多く、近代になってコンクリートで固めているものも多くありました。
阿伝の後は北部へ。サトウキビ畑の中の一本道からハワイビーチ。残念ながら満潮で砂浜は水没していました。
その後、ムチャ加那公園へ立ち寄るとここもムヤがあり、ムチャ加那が葬られていたとのこと。そして雁股の泉と立ち寄って、18時にホテル近くへ。
事前に喜界島といえば山羊料理ということでFacebookで天晴というお店がいいよというので一人で夕食へ。ヤギ汁好きですが、奄美大島では山羊刺とかカラジューリ(山羊肉や内臓をヤギの血で炒めた料理)は無いので、本場で食べて見たかったのです。満足でした。
こうして2日目が終わりました。
((5)につづく)
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