昨日は奄美郷土研究会の例会で、明治以降の名瀬市街地の形成と白糖工場跡地巡りをしてきました。
詳しくは「奄美学入門」をご覧下さい。
恥ずかしながら、見落としていたのが矢之脇町の稲荷神社跡。
大島石油本社裏手から裁判所への道を右折するとすぐ右、山手のほうにありました。
送信者 シマ巡り2011-07 |
大正か昭和初期あたりで高千穂神社にご神体は移されたそうですが、祠がまだ残っています。
社団法人奄美大島青年会議所が作った看板に説明がありました。
稲荷神社の由来
明治初年の頃、大阪屋という呉服豪商、南野幸太郎が、現在の林氏の敷地に済み、その幸太郎の祖母が、稲荷神の信仰の厚い人だったため、大阪からご神体をお供してきて、ここに安置し、名瀬商人に布教したものという。殊に明治後期の頃は料亭関係者たちの信仰をあつめたものという。