5月23日から25日に喜界島へ行った様子を数回に分けて連載します。
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途中で他の話題が入る(かも?)しれませんので、記事には”202005喜界”のタグを付けておきます。
GoogleMapのマイマップには行った場所をマッピングしてます。
24日朝、目が覚めて外を見ると真っ白な霧に包まれて、小雨が降ってました。宿泊したビジネスホテル喜界は朝食が美味しいらしいのですが、コロナの影響で残念ながら朝食は無し。
それならと朝の散歩を兼ねてコンビニ(アイショップ)へ。7時開店なので少し足を伸ばしてスギラビーチへ行ってみました。スギラビーチは喜界空港のすぐそば、滑走路をぐるりと回っている道路の端を通ってすぐです。滑走路の端では見上げると飛行機の離発着の様子が見れると思うのですが、ネットで見かけないのはどうしてなんでしょうか。ちょっと不思議です。
9時にTさんが迎えに来てくれました。
一応、喜界島観光物産協会のホームページからダウンロードした喜界島観光MAPを元に主要な観光ポイントをチェックしていたのですが、Tさんが個人的に面白い所があるというので、おまかせすることに。結果的にすごくディープな喜界島を見ることができました。
主な観光施設等も日曜で休館だったり、コロナの影響で臨時休館だったりなので、よかったです。
いきなり行ったのがムヤ。結果、翌日まで島を3周することになるのですが、島内のいたるところにありました。
検索してみると、ムヤとは”喪屋”。「奄美に生きる古代日本文化」の解説ブログに説明がありました。奄美大島だと、宇検村佐念集落に「佐念モーヤ」というのがありますが、おそらく語源は同じです。形式としては砂岩(砂がサンゴの石灰で固まったもの)の小山の自然の洞窟が元で、人工的にくり抜いたものもありましたが、奄美大島だと笠利町の城間トフル墓、徳之島・沖永良部島のトゥール墓が同じような形態です。ちなみにトフルとトゥールは”あの世へ通る(穴)”という意味のようです。また、奄美大島の土浜には同じく砂岩が自然にえぐられた古い風葬場所だっと言われるイャンヤ遺跡というのがありますが、イャンヤは”岩屋”が語源と言われているようです。
いずれにしても、古い風葬の場所だったのでしょう。
奄美大島では古い墓地というのは風葬の場所は少し内陸部ですが、土葬となり洗骨が行われるようになると海岸線沿いがお送りますが、喜界島では墓地のほとんどは内陸部、基本的にムヤがある場所がそのまま近代まで墓地となっているようです。
((3)へつづく)
コメント
[…] あまみ便り(奄美大島なんでもガイド。観光ネットワーク奄美) » 喜界旅行記(2)ムヤ巡り より: 2020年5月27日 9:33 AM […]
[…] あまみ便り(奄美大島なんでもガイド。観光ネットワーク奄美) » 喜界旅行記(2)ムヤ巡り より: 2020年5月28日 9:03 AM […]
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