6月12日から14日まで、沖永良部島と与論島へ行ってきました。
数回に分けて連載します。途中で他の話題が入る(かも?)しれませんので、記事には”202006沖永良部/与論”のタグを付けておきます。
訪問地はマイマップ(沖永良部島・与論島 )を作成して写真をアップしてあります。
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沖永良部島は東シナ海側が侵食された琉球石灰岩ですが、全体としては大山を頂点としてなだらかな地形です。しかし、与論島へ近づき、島の東シナ海へ回り込んでいくと茶花のあたりを過ぎた沖合から眺める風景に大きな海岸段丘が見えてきました。
喜界島を奄美大島から見た時に南に見える百之台から七島鼻の先がガクンと海岸段丘がわかるのですが、ちょうど同じような形です。高さは七島鼻が221m、与論の海岸段丘の一番上は100mもありませんが。
与論島は天気がよければレンタルバイクと思い、あらかじめ予約しておいたヨロンオーシャンレンタカーさんにフェリーから連絡してみると港に配達してくれるとのこと。
港に待っていてくれて、その場でお支払い。翌日13時返却ということで24時間、2000円です。50ccですが、それでも安い。与論島を廻るには道も細いし、十分でした。
ヨロン島観光協会のMさんにもお会いしたいと連絡をとっていたのですが、フェリー到着が13:40、Mさんは14:00から会議があるので、ちょっと無理ですねとお話していたのですが、なんと、港に来てくれていました。わずかな時間ですがご挨拶だけ。
港から宿泊先の百合ヶ浜ビーチハウスへ。
こちらは管理しているご夫婦の旦那さん、Sさんが与論島観光エコツアーガイドとして認定エコツアーガイドの方、奥さんが「薬草カフェ pique-nique(ピクニック)」をされているので、ちょっと遅めの昼食に薬草カレーをいただきながら、Sさんから少しお話を伺いました。
Facebookの知り合いから与論島のエコツアーガイドの草分け的存在のTさんをご紹介いただいていて、事前に連絡をとっていました。Sさんもよくご存じの方でしたので、直ぐに訪ねることに。
Tさんのご自宅を訊ねると、夕方まで2時間ぐらいご案内します、ということなのでお言葉に甘えてお願いしました。
Tさんにも少しリクエストしたところ、では、島の地形が分かる場所ということで舵引き丘(ハジピキパンタ)へ。そこから尾根に相当する地形を走り、与論城(グスク)跡へ。
与論十五夜踊りの舞台になっているのが与論城跡で、歩道を歩いていくと、断崖です。
フェリーが港に入る前に茶花沖から眺めた海岸段丘のヘリでした。
この風景は喜界島の七島鼻から眺めた景色とほとんど同じ、方角も似ています。
城跡の公園には十五夜踊りの展示館があり、内部には入りませんでしたが、外から見てみると琉球踊りの一番組の建物にある大きな太鼓がよく見るとクサビ止め、大島のチヂンと同じ構造です。沖縄にはチヂンのようなクサビを使った太鼓はありません。また、大和風踊りの二番組の建物を覗くと紙面、大島の油井豊年祭や加計呂麻島の諸鈍シバヤの面に似ています。衣装もそれぞれ琉球と大和、まさに琉球と大和が交差するところなんですね。
そして、十五夜踊りを伝承しているのは与論城の下にある城(グスク)集落の方々とのこと、集落に入ってみると昔からのサンゴの石垣で囲まれた立派な敷地が多かったです。
ただ、他の集落はほとんどが畑の開発等にともない移転を繰り返したので近代になってからの場所とのこと。
城集落には水場もあり、「城屋川」(グスクヤゴー)でした。喜界島では「ウリガー」、沖永良部では「暗川(クラゴー)」もしくは「ホー」。島々で水場の名称の違いも面白いです。
((6)へつづく)
コメント
[…] ((5)へつづく) […]
[…] 沖永良部/与論旅行記(5)与論城(グスク)跡と屋川(ヤゴー) 2020年6月19日 […]
[…] 与論十五夜踊りの内容についても興味深いものがありました。1番組と2番組がそれぞれ琉球風と大和風であり、衣装も琉球風と大和風が使われる点。 また、沖永良部島と与論島では […]