海に逢う、恋をしたように心がときめく
海を見つめる、時間が止まる
海に泳ぐ、全身の器官が花開く
夏休み。健太郎は毎日海を食べ、風と話し、波と戯れていた。夜は真っ白な浜を枕にして、月の微笑みや星の瞳に包まれ、風の音を子守り歌にして眠り、夢の中で遊んでいた。
自然の表情、自然の声、自然の歩き方に合わせて自分の時間をつくり、そのリズムに身をまかせて漂っていた。
海はいつでも、どんな健太郎でも受け入れた。寝ぼけまなこの健太郎も、無邪気な健太郎も、みんな受け入れた。
海に逢う。
健太郎の心は、恋をしたようにときめく。
海を見つめる。
時間が止まったような気になる。いつまでも、いつまでも見つめる。「いつまで見ても飽きない、それは海だけだ」と健太郎は思った。
裸で海に泳ぐ。
健太郎の手や足、胸やおしり、すべての器官が命を得たように花開く。おいしいものを食べたように「満足、大満足でーす」と、しあわせの歌を歌う。
あすから夏休みという健太郎の教室。先生が聞いた。
「大きくなったら何になるんだい」
「博士になりたい」
「大臣になりたい」
「お医者さんになりたい」
みんな元気に答える。健太郎も大きな声で言った。
「海になりたい」
教室が一瞬、潮騒が止んだように静かになった。
「健太郎君、真面目に答えなさい」
先生が諭すように言った。
健太郎は胸をそらし、さらに大きな声で答えた。
「海になりたい!海になって風や波たちと仲良くなって、魚や貝や海草をいっぱい育てるんだ。命をいっぱい育てるんだ!そして・・・」
「そして、千代さんに上げるんだ」と、言いたかったが、後の言葉は飲み込んでしまった。
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